僕が演劇ユニットを始めた理由
はじめまして。
数あるブログの中からこのブログを選んで下さって、本当に有難うございます。
息吹肇の歩み
高校で始めた演劇
最初の回なので、ますは自己紹介をしたいと思います。
僕は、東京の小劇場を中心に活動する、演劇ユニットFavorite Banana Indians(略称FBI)の代表で、脚本家・演出家の息吹肇と申します。元々は高校で演劇部に入っていたのですが、弱小の部活で、部員が数人しかいませんでした。上演には部長の好みの脚本が選ばれることが多かったのですが、人数の制約もあり、あまり面白い脚本を上演した記憶はありません。もっとも、当時は自分がどんな芝居が好みなのかもよく分かっていませんでしたが。
その後、大学に進みましたが、大学では演劇部や劇団には入りませんでした。
その当時の大学の劇団というのは、殆ど授業を無視して稽古や公演が設定されていたものですから、僕は少し怖じ気づいていたのです。そこまで演劇に魂を捧げるつもりは、当時はなかったのです。
初めてオリジナルの脚本を書く
転機が訪れたのは、大学2年生の時でした。自分の出身高校の演劇部が、秋の文化祭と地区発表会で上演する創作脚本を書いてくれる人を探しているというので、僕が書くことになったのです。殆ど経験のない僕がはじめにやったことは、その時に流行っている演劇はどんなものだろうというリサーチでした。当時は所謂「小劇場ブーム」の真っ最中で、小劇場第3世代といわれる野田秀樹氏・鴻上尚史氏・渡辺えり子(現渡辺えり)氏といった人達の劇団が隆盛を極めていました。
僕は、戯曲といえばシェイクスピアやチェーホフ、日本人で言えば井上ひさし氏やジェームズ三木氏といった、割とかっちりしたものしか頭になかったので、初めて見た野田秀樹氏の舞台に度肝を抜かれました。当時から「おもちゃ箱をひっくり返したよう」と評されていましたが(ご本人はどこかのインタビューで「ひっくり返してねえっての」と否定されていました)、とにかく遊び心に満ちていて、時空も飛び放題。何重にもなっている入れ子の構造や、言葉遊び、ミュージカルでもないのにダンスや歌が入る等々、とにかくそれまでの(僕の中での)演劇の常識を覆すものばかりでした。
そして、不思議なことに、それらの舞台に接した僕は「これなら作れるかも」と思ってしまったのです。そしてできたのが、処女戯曲「プロメテウスの炎(ひ)〜その昔、人間は考える葦であった〜」。勿論、僕1人の力ではできず、当時現役の部員達と合宿をして、徹底的に話し合い、形にしました。
それは実際に文化祭で上演され、ご好評をいただきながら地区大会を勝ち上がり、県大会まで行ったのです。この「成功体験」が、僕を脚本家の道に誘っていくことになるのです。といっても、一筋縄ではいきませんでした。僕は大学を卒業後に(1年ほど無駄な抵抗をしましたが)普通の会社員となり、一時期芝居から遠ざかりました。「芝居では食えない」ことを知っていたからです。
「劇団員」になれなかった
それでも僕は、芝居を諦めることはできませんでした。会社員として働きながら、何とか芝居をしたい。
ここから、僕のたった1人の戦いが始まるわけです。
僕が社会人になったばかりの頃は、インターネットが漸く広まり始めた時代。Windows95でパソコンが一般的になったあたりです。(ちなみに、僕はその当時からMacを使っていました。)SNSは影も形もなく、辛うじて「BBS」(掲示板)が機能している感じでした。僕の周囲には、劇団活動をしている人はいました。実際、とある劇団の旗揚げにも関わってみたのですが、1作役者として出演した後、すぐに辞めました。理由は、僕が面白いと思う芝居を、その劇団はやらなかったからです。そこに関わっている時間も労力もお金も、全て勿体ないと思えました。
実際、社会人として演劇を本格的にやろうとすると、思い頸木を付けているようなもので、なかなか融通が利かないところもあったのです。その劇団の人達は、本格的に芝居で食っていこうとしていて、みんなアルバイトをしていました。それが意識の違いのように見なされ、余計に僕は居場所がなくなりました。
「演劇ユニット」立ち上げへ
劇団を辞めてみたものの、やはり芝居をやりたいという気持ちは捨てられませんでした。芝居から離れた時期もあったのですが、気持ちのどこかでは、あの世界に戻りたいという思いがあったのです。
それも、どこかの劇団に所属して、その劇団の作り出す世界観の中に染まるというやり方ではなく、自分が面白いと思った芝居を、心おきなくやりたい。その思いはどんどん大きくなっていったのです。
それが、現在の僕の演劇ユニットFavorite Banana Indiansのスタートになるわけです。
演劇をやると言えば「劇団」を立ち上げる、またはそこに所属するという形態を取るのが当たり前だった当時、まだ「演劇ユニット」というあり方をしている団体はあまりありませんでした。僕がこの形態を選んだのは、劇団のように顔ぶれが固定してしまうよりも、作品ごとにそれに適した役者が集まる、つまりは「プロデュース公演」の方が、刺激的で面白いと感じたからです。(欧米では「プロデュース公演」が、アジアでは「劇団」が主流だと言われていました。)
自分が好きな作品を選び(または書き)、自分が好きな役者をキャスティングし、好きなように演出する。これほど自由で面白いやり方はないと思いました。勿論、あらゆることの責任は僕が背負わなければなりませんし、苦労もたくさんあるのですが、僕にはどうやらこのやり方が一番合っているようです。
自分が楽しいと思えること
思いのほか長くなってしまいましたが、このブログのタイトルは「たった1人で演劇創りを始める方法」でしたね。
今回の文章の中からそのヒントを1つあげるとすれば、まずはスタート地点として、
自分が楽しいと思う芝居の形をしっかりイメージする。
ということになるでしょうか。そのイメージを具現化することをゴールにして、行動計画を立てていくわけです。
これに関しては、次回以降に書いていきたいと思います。
最後までお読みいただき、誠に有難うございました。
また次回以降も、どうぞ宜しくお願い致します。