たった1人で演劇創りを始める方法

劇団に所属せず、周りに仲間もいない状態から、自分だけの演劇作品を上演するまで

たった1人で演劇を創ることのデメリットとは?

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みなさん、こんにちは。

このブログも3回目になりました。三日坊主とか三日天下とか、3という数字はあまりいい意味で使われません。このブログも尻すぼみにならないように、4回、5回、10回、20回…と続けていけるように書いていきたいと思います。

 

前回は、たった1人で演劇を創ることのメリットをご紹介しました。1人は大変で苦労ばかりと思われているかも知れないのですが、1人ならではの利点も確かにあって、だから僕を含めて1人演劇ユニットというのが結構あるのです。

しかし、物事には表があれば裏がある。いいことずくめのわけはありません。もしそうなら、劇団という劇団はとっくに壊滅していることでしょう。

劇団(集団)であることのメリットもたくさんあって、それを裏返すと1人ユニットのデメリットになります。今回は、それについて、目を背けずに書いていきます。

 

 

デメリットその1 独りよがりになりやすい

前回、1人のメリットで「意志決定が早い」「自分の思い通りにできる」と書きました。その裏返しがこれです。つまり、客観的に物事を判断してくれる人がいないのです。1人ユニットは、自分が面白いと思ったことを思いっ切りやれるのがいいのですが、果たしてそれが他の(多くの)人にとっても面白いものなのかと、立ち止まって考えるのがなかなか難しいのです。

何かを思い付いて動き出した段階で、気が付かないうちに視野がどんどん狭くなっていきます。何しろ、異論を唱える人がいないわけですから、知らず知らずのうちに、その人の趣味・嗜好・思想を観客に押し付ける結果になることもしばしばです。

特に、1人で脚本・演出・主演をやるユニットに、この傾向が強いです。「脚本・演出・主演」を1人で兼ねたら、それはもう無敵です。座組の誰も、少なくとも根本的な部分では異論を挟めなくなります。結果、独りよがりの表現に陥ってしまうのです。本人が誰よりも気持ちよくなってしまっていると、始末に負えません。それはもう「表現」ではありません。マスターベーションと同じです。

それは、そのユニットの代表のファンにとってはたまらない時間でも、それ以外のお客様にとっては、別の意味でたまらない時間になります。

劇団は、複数の劇団員がいて、企画段階でも、稽古場でも様々な視点から意見を出してくれます。主宰や代表の色が濃く出る傾向があるとはいえ、多様性が確保されるのが劇団です。劇団の色でさえ、劇団員が意見を戦わせ、すり合わせて決まっていく側面もあります。

1人の場合はそれができません。余程注意しないと、視野狭窄に陥り、同じようなテイストの作品を繰り返し作ってしまい、飽きられたり忌避されたりする危険性があるのです。

 

 

デメリットその2  雑用も全て1人でやる

演劇活動には、他の活動と同じで多数の「雑用」があります。劇団には劇団員がいますので、劇団員の間で役割分担をすることができます。人によって作業量が偏ることはありますが、取り敢えず「手」があるというのは大きいです。

1人ユニットの場合は、当然雑用も全部自分がやるしかありません。器用な人ならいいのですが、僕のように複数のことを並行して進めるのがあまり得意ではない人間は、とても苦労します。

芝居をやろうとすれば、まずは劇場を押さえ、脚本を書き、役者さんにコンタクトを取り、オーディションを行い、スタッフさんを押さえ、稽古場を押さえ、宣伝美術のための写真撮影があれば撮影用スタジオを押さえ、ダンスがあればダンス稽古用のスタジオを押さえ、殺陣があれば殺陣稽古用の稽古場を押さえ、生歌があれば歌練用のスタジオを押さえ、出演者のスケジュール調整をして稽古シーンを決め…、ととにかくやることが湯水のように湧いてきます。演出助手がいれば、ある程度分担することができるのですが、いない場合は、主宰をやりながら作・演出をやり、雑務や渉外の仕事もやります。

これを言ったら「看板に偽りあり」になってしまいますが、そもそも、演劇はたった1人だけでは創れません。役者さん・スタッフさんがいて初めて成立するのです。一人芝居であっても、スタッフさんがいなければ芝居の体をなさないでしょう。なので、大抵の場合、出演者の中で力のある人が、見るに見かねてお手伝いをしてくれます。いつも申し訳ないなと思いながらも、その人達の善意に甘えさせてもらっています。でないと、何も前に進まないからです。

それでもやっぱり主体は代表ですから、最終的には全てのことが1人の代表にのしかかってきます。睡眠時間が削られるのはお約束です。それでも、倒れてしまっては全てが止まってしまうので、辛いところを無理をしてでも動くことになります。

自分の手となり足となって「無償で」動いてくれる人、作品に対して滅私奉公してくれる人が、基本いない。それが1人ユニットの実態なのです。

 

 

デメリットその3 役者・スタッフワークは(ほぼ)全て外注

一人芝居でない限り、登場人物の数だけ役者が必要です。劇団なら劇団員がいますが、たった1人のユニットの場合は、当然ですが外部から役者さんを探して呼んでくる必要があります。

また、劇団の場合、例えば衣裳・小道具は劇団員が作るという所は結構あります。そうすると、衣裳・小道具に関して外部スタッフさんを雇う必要がなくなります。勿論、劇団員にその分のギャラは出ません。ですので、衣裳も小道具もかかるのは実費だけです。大道具の立て込みの時にも、劇団員がいれば、舞台監督さんの指揮の下に普通に道具を持ってたたきます。ばらしの時も同じです。受付も、劇団員だけでやろうと思えばできてしまいます。勿論、劇団員の人件費はかかりません。

これがたった1人のユニットだと、できることに限界があります。例えば美術ができたり、衣裳や小道具が作れたりすれば、その分は外注しなくてもいいかも知れませんが、忙しくはなります。仕込みやばらしは、1人で手伝っても絶対に無理で、応援の人を呼んでもらうしかありません。受付も1人で回すのは無理です。

外部のスタッフさんを頼めば、当然外注費(ギャラ)が発生します。(役者も同じです。)いくつものスタッフワークを掛け持ちできる代表ならある程度いいのでしょうが、僕の場合は、脚本と演出しか能がないので、その他の全スタッフワークは外注になります。仕方ないことですが、打合せ等で時間を取られますし、こちらの意図通りのクオリティにならないことも、ごく希にはあります。

 

 

デメリットその4 お財布は1つ

実はこれが、デメリットの中で一番大きいのではないかと思っています。

劇団の場合、いろいろなシステムを取っている劇団がありますが、例えば「団費」という形で毎月何某かのお金を劇団員から徴収してプールしておくといったところもあります。

また、普段は何も徴収されなくても、公演になると劇団員にチケットノルマを課すところは多いです。例えばチケット料金が3,500円でノルマが30枚だとすると、劇団員1人につき105,000円は確実に劇団に入ります。もしその劇団員が20人しかお客様を呼べなかったとしても、残りの10人分は自腹になるわけです。

たった1人のユニットの場合、先に書いたスタッフさんへのギャラの他に、キャストさんにも何らかのバックまたはギャラが発生します。今の例でいえば、役者が30人呼んだとして、1枚目から1,000円バックするとなると、こちらの手元に残るチケット収入は75,000円に減ります。この30,000円の差は大きいです。事務所に所属する役者の場合、多くは1ステージいくらというギャラの方式になりますので、ユニット側の負担はさらに増えます。

最悪、足が出るのです。

そして、最終的に赤字になった場合、それを負担するのはユニットの代表ただ1人ということになります。劇団員のように、負担を分かち合う人がいないのです。

これは、正直かなりきついです。

僕は、活動の初期には会社員として働いていましたが、公演で赤が出た時は、ボーナスで補填していました。

最終的に赤字ではなかったとしても、演劇公演を行う場合には、稽古場を借りる費用やチラシを制作して印刷する費用、衣裳や小道具の実費等、事前の出費がかなりあります。

演劇活動の収入源は、チケットの売上と物販の売上に限られますので、特に1人でやる場合は、それを補う副収入を得る手段を確保しておくことが必須となります。

 

 

如何でしたか。

メリットよりデメリットの項目の方が多い結果になりました。

勿論、細かくいえば、もっと様々な問題があります。

何でも自分の思い通りになると思うと、人は様々な面で暴走しがちです。趣味に走り、予算も青天井。結局、1人で楽しみながら、苦しむことになります。

巻き込まれてしまった役者さんやスタッフさん、そしてお客様はいい面の皮です。

そうならないようにするにはどうすればいいのか。

難しいですが、

 

「バランス感覚」と「自分を客観的に見つめる視点」を持つこと

 

これが、たった1人で演劇を創る上では大変重要です。

 

前回書いた「メリット」と今回の「デメリット」を比較・検討して、自分は本当に1人で演劇を創ることに向いているのか、それとも仲間を募って劇団を旗揚げした方がいいのか、ご自身で判断していただきたいと思います。

 

「そんな難しいことができるか自信がないけど、とにかく1人でやってみたい」

そう思った人もきっといると思います。

何事もチャレンジ精神が大切です。

次回以降はさらに具体的に、たった1人で演劇を創るためのヒントになることを書いていきたいと思います。

たった1人で演劇を創ることのメリットとは?

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みなさんこんにちは。息吹肇です。

前回の記事はお読みいただけましたでしょうか。

何故僕が「演劇ユニット」という、劇団ではない形態で演劇活動を行っているのかがお分かりいただけたかと思います。ただ、演劇ユニットは1人である必要はありません。事実、代表(主宰)と数名の役者やスタッフが所属し、公演の度に外部から客演を呼んでいるユニットもあります。

僕の演劇ユニットFavorite Banana Indiansも、実は他にメンバーが1名または2名いた時期もありました。それが、様々な事情から抜けて、現状は1人になったのです。1人の演劇ユニットというのは、実は結構存在しています。中には、「自分はたった1人で、苦労しながら頑張っているんだ!」と声高に訴えることで、支持(同情?)を得ようとする人もいるのですが、1人で頑張っている人はそれ程珍しくはありません。それに、不可抗力でそうなったとしても、それは結局その人個人が選択したことです。(勿論、その人を応援するのは自由です。)

確かに1人で演劇をやろうとすると、いろいろな苦労をすることになります。けれども、楽しさややり甲斐も大きいのです。

 

ブログ2回目の今回は、たった1人で演劇を創ることのメリットをお伝えしましょう。

 

 

メリットその1 意志決定が早い(フットワークが軽い)

通常、劇団には意志決定機関として「劇団会議」というものがあります。これは、劇団員全員が集まり、今後の活動計画等を決めていくものです。叩き台は劇団の代表(主宰)や執行部が作るのでしょう。それを全員参加の会議でもんで、最終的な意志決定がなされます。

これが演劇ユニット、それもたった1人のユニットだったら、まさに「即断即決」です。案を考えるのも自分なら、それにGOを出すなり、修正を加えるなり、待ったをかけたりするのも自分。つまり、自分1人の中で全てが完結してしまうのです!公演を打つ時期、その規模、演目、キャスティング、本番までのスケジュール、稽古場の場所、予算組み等々、全て自分1人で考え、決断します。そして、すぐに動き始めることができるのです。

また、何か不測の事態が起きた時や、予想外の問題が持ち上がった時、劇団ならば方向転換のための意思統一のプロセスを踏む必要があります。しかし、自分が代表なら、その必要も基本的にはありません。すぐに方向転換をするなり、正面突破を図るなり、自分1人の意思で動けます。

自分のペースで、自分の思い描いた通りに物事を動かすことができるのが、1人で演劇を創る最大のメリットといえるでしょう。

 

 

メリットその2 自分の企画が確実に通る

劇団によって違いはあると思いますが、例えば新人の劇団員(または研究生など)が、次の公演の時期や演目を提案することは、まずできないのではないかと思います。もしできたとしても、もっと古株の劇団員や、最終的には代表(主宰)の意見が通るのが普通です。「若手公演」や研究生の自主公演のようなものでなければ、経験の浅い劇団員の企画で公演を打つことは難しいでしょう。

しかし、先に書いたこととも重なりますが、たった1人の演劇ユニットなら、自分の企画を立案できれば、それを確実に実行に移すことができます。自分の企画を実現させるためのプロセスを考えることや、俳優さん、スタッフさんの人選や交渉も自分1人でやらなくてはなりませんが、途中でどこかから横槍が入るということもありません。全責任は自分で取らなくてはなりませんが、劇団のような団体ではとれないリスクをとった企画や、奇抜すぎたり尖りすぎて誰も採用しないような企画でも、自分で何とかする覚悟さえできれば、実行に移すことができます。

分かりやすい例は、ユニット名を決めることでしょうか。

劇団では、会議を開いて団員から案を募り、多数決または代表の意思で決定します。自分が望んでいた劇団名になる保証はありません。どんなにダサいと感じる名前でも、劇団会議で決まってしまえば、それに従うしかありません。

1人ユニットの場合は、案を考えるのは大変ですが、自分1人の意思で、自分の好きな名前をつけて活動することができるのです。

 

メリットその3 人間関係に過度に時間と労力を割かなくてよい

劇作家で演出家の鴻上尚史氏は、ご自身も劇団の主宰をなさっていた経験から、劇団の代表は、劇団の人間関係に80%の労力を割かれると仰っていました。本来は、作品作りに100%とはいかないまでも、それこそ80%の時間と労力を割きたいところです。しかし、現実は全く逆です。

劇団は、同じ人間と月単位・年単位で顔を合わせ続け、芝居作りという共同作業をし続けます。当然、人間関係は濃くなります。その結果、様々な軋轢や行き違いが生まれます。これはどんな組織でも同じでしょう。人間関係がぎくしゃくしてしまうと、物事もうまく進みません。時には、作品の出来(クオリティ・完成度)にまで悪影響を及ぼします。代表(主宰)の大切な役目は、そういった人間関係の調整です。これはもの凄く神経を使いますし、間違いなく消耗します。

たった1人のユニットの場合、稽古中や公演期間中は、やはり固定メンバーとなります。当然同じ問題は生まれます。ただ、1人ユニットのいいところは、公演が終われば、そのメンバーとは基本的には二度と顔を合わせないことです。つまり、毎回人間関係がリセットされていきます。お互い「合わないな」と思っても、大人ならば「まあいっか、この芝居が終わるまでだ」「これは仕事なんだ」と自分を納得させ、我慢して、何とかやり過ごすことができます。

若干人間関係がビジネスライクになりますが、大切なことは皆が仲良しになることではなく(勿論、そうなったら最高なのですが)、作品が完成すること、舞台が成功することなのです。そのために注ぐエネルギーをより増やすことができる。誰にとっても、こんなに幸せなことはないと思うのです。

 

 

如何でしたか。細かい点を挙げれば、まだまだメリットはありますが、

 

1人であることの身軽さ。

 

自分の意見が(基本)100%通る。

 

まとめると、この2つに集約されるといえるでしょう。

意志が強く、自他共に認める「一匹狼」だという自覚があるのなら、無理して仲間を探すよりも、1人で計画を立てて実行する方式を選ぶ方が、より確実に目標に近付けると思います。

 

勿論、たった1人で演劇を創ることを選べば、バラ色の日々だけが待っているわけではありません。

次回は、デメリット、注意しなければならない点についてお伝えしたいと思います。

僕が演劇ユニットを始めた理由

はじめまして。

数あるブログの中からこのブログを選んで下さって、本当に有難うございます。

 

息吹肇の歩み 

高校で始めた演劇

最初の回なので、ますは自己紹介をしたいと思います。

僕は、東京の小劇場を中心に活動する、演劇ユニットFavorite Banana Indians(略称FBI)の代表で、脚本家・演出家の息吹肇と申します。元々は高校で演劇部に入っていたのですが、弱小の部活で、部員が数人しかいませんでした。上演には部長の好みの脚本が選ばれることが多かったのですが、人数の制約もあり、あまり面白い脚本を上演した記憶はありません。もっとも、当時は自分がどんな芝居が好みなのかもよく分かっていませんでしたが。

その後、大学に進みましたが、大学では演劇部や劇団には入りませんでした。

その当時の大学の劇団というのは、殆ど授業を無視して稽古や公演が設定されていたものですから、僕は少し怖じ気づいていたのです。そこまで演劇に魂を捧げるつもりは、当時はなかったのです。

 

初めてオリジナルの脚本を書く 

転機が訪れたのは、大学2年生の時でした。自分の出身高校の演劇部が、秋の文化祭と地区発表会で上演する創作脚本を書いてくれる人を探しているというので、僕が書くことになったのです。殆ど経験のない僕がはじめにやったことは、その時に流行っている演劇はどんなものだろうというリサーチでした。当時は所謂「小劇場ブーム」の真っ最中で、小劇場第3世代といわれる野田秀樹氏・鴻上尚史氏・渡辺えり子(現渡辺えり)氏といった人達の劇団が隆盛を極めていました。

僕は、戯曲といえばシェイクスピアチェーホフ、日本人で言えば井上ひさし氏やジェームズ三木氏といった、割とかっちりしたものしか頭になかったので、初めて見た野田秀樹氏の舞台に度肝を抜かれました。当時から「おもちゃ箱をひっくり返したよう」と評されていましたが(ご本人はどこかのインタビューで「ひっくり返してねえっての」と否定されていました)、とにかく遊び心に満ちていて、時空も飛び放題。何重にもなっている入れ子の構造や、言葉遊び、ミュージカルでもないのにダンスや歌が入る等々、とにかくそれまでの(僕の中での)演劇の常識を覆すものばかりでした。

そして、不思議なことに、それらの舞台に接した僕は「これなら作れるかも」と思ってしまったのです。そしてできたのが、処女戯曲「プロメテウスの炎(ひ)〜その昔、人間は考える葦であった〜」。勿論、僕1人の力ではできず、当時現役の部員達と合宿をして、徹底的に話し合い、形にしました。

それは実際に文化祭で上演され、ご好評をいただきながら地区大会を勝ち上がり、県大会まで行ったのです。この「成功体験」が、僕を脚本家の道に誘っていくことになるのです。といっても、一筋縄ではいきませんでした。僕は大学を卒業後に(1年ほど無駄な抵抗をしましたが)普通の会社員となり、一時期芝居から遠ざかりました。「芝居では食えない」ことを知っていたからです。

 

 「劇団員」になれなかった

それでも僕は、芝居を諦めることはできませんでした。会社員として働きながら、何とか芝居をしたい。

ここから、僕のたった1人の戦いが始まるわけです。

僕が社会人になったばかりの頃は、インターネットが漸く広まり始めた時代。Windows95でパソコンが一般的になったあたりです。(ちなみに、僕はその当時からMacを使っていました。)SNSは影も形もなく、辛うじて「BBS」(掲示板)が機能している感じでした。僕の周囲には、劇団活動をしている人はいました。実際、とある劇団の旗揚げにも関わってみたのですが、1作役者として出演した後、すぐに辞めました。理由は、僕が面白いと思う芝居を、その劇団はやらなかったからです。そこに関わっている時間も労力もお金も、全て勿体ないと思えました。

実際、社会人として演劇を本格的にやろうとすると、思い頸木を付けているようなもので、なかなか融通が利かないところもあったのです。その劇団の人達は、本格的に芝居で食っていこうとしていて、みんなアルバイトをしていました。それが意識の違いのように見なされ、余計に僕は居場所がなくなりました。

 

 「演劇ユニット」立ち上げへ

劇団を辞めてみたものの、やはり芝居をやりたいという気持ちは捨てられませんでした。芝居から離れた時期もあったのですが、気持ちのどこかでは、あの世界に戻りたいという思いがあったのです。

それも、どこかの劇団に所属して、その劇団の作り出す世界観の中に染まるというやり方ではなく、自分が面白いと思った芝居を、心おきなくやりたい。その思いはどんどん大きくなっていったのです。

それが、現在の僕の演劇ユニットFavorite Banana Indiansのスタートになるわけです。

演劇をやると言えば「劇団」を立ち上げる、またはそこに所属するという形態を取るのが当たり前だった当時、まだ「演劇ユニット」というあり方をしている団体はあまりありませんでした。僕がこの形態を選んだのは、劇団のように顔ぶれが固定してしまうよりも、作品ごとにそれに適した役者が集まる、つまりは「プロデュース公演」の方が、刺激的で面白いと感じたからです。(欧米では「プロデュース公演」が、アジアでは「劇団」が主流だと言われていました。)

自分が好きな作品を選び(または書き)、自分が好きな役者をキャスティングし、好きなように演出する。これほど自由で面白いやり方はないと思いました。勿論、あらゆることの責任は僕が背負わなければなりませんし、苦労もたくさんあるのですが、僕にはどうやらこのやり方が一番合っているようです。

 

 自分が楽しいと思えること

思いのほか長くなってしまいましたが、このブログのタイトルは「たった1人で演劇創りを始める方法」でしたね。

今回の文章の中からそのヒントを1つあげるとすれば、まずはスタート地点として、

 

自分が楽しいと思う芝居の形をしっかりイメージする。

 

ということになるでしょうか。そのイメージを具現化することをゴールにして、行動計画を立てていくわけです。

これに関しては、次回以降に書いていきたいと思います。

最後までお読みいただき、誠に有難うございました。

また次回以降も、どうぞ宜しくお願い致します。